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ガソリン価格 福岡県

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化石・脇野亜層群

2009年3月22日 (日)

ワニの歯 続編

Rimg0882

暇を見つけては続けている脇野亜層群の化石の剖出作業。

歯科用のマイクロスコープを用いて細かく石を割っていきます。

昨日仕事から帰って、夜中にテレビで放送していた「着信アリ2」を見ながら作業。

すると・・・「お!」

ワニの歯が並んで2本出てきました。

2本同時は珍しいのでクリーニングはここまでにして母岩に入ったままにしました。

歯のサイズは向かって左が4mm、右が3mm。

ここのワニって小さいのが多いですね。

2009年3月 5日 (木)

小さな小さな歯の化石

Rimg0773

先日から時々紹介している関門層群脇野亜層群(かんもんそうぐんわきのあそうぐん)の石を細かく砕いてのクリーニング。

北部九州から山口県にかけて分布している白亜紀前期・約1億3000万年前から1億2000万年前の河川や湖に堆積したと考えられている地層。

これまで北九州市で貴重な魚類化石群が発見されたり、数種類の恐竜類、トカゲ類、ブロティオプシスやプリカトウニオなどの貝類などが報告されています。

でもまだまだ分からないことだらけ、違った見方から化石の分析ができないかと、あべさんと一緒に小さな化石の検討をしています。

細かく割れている状態で見つかる貝類化石、こんなに細かくなっているのは水の流れのせい?表面の彫刻はこれまで報告されている貝類には該当しないような?

作業を続けていると次々と疑問が出てきます。

どんな生物か、どこの部分か分からない小さな骨片も出てきました。

いろいろ推測しながら博物館の先生方と検討しましたが?でした。

マイクロスコープで見ながらのクリーニングは腰が痛くなったり疲れはしますが、大変意義のある作業だと思っています。

写真はその作業中に出てきた「歯」

ポリ袋に入って中央にあるの分かります?

なんでしょね、大きさや形態からして魚類が頭に浮かびますが確定は出来ていません。

極小ですが根元には縦に線があります。

実はこの歯の化石、クリーニングの際に真ん中から2つに折れたのです。

さあ修復!といきたいところですが、なにせ小さい。

割れた破片は肉眼では辛うじて点で見える程度。

針を持って来て先っちょに接着剤を付けるも針自体が「歯」よりも太く接着剤もマイクロスコープで見ると接着面と比べると大量!

なんということだ、、、。

さらに大変なのが接着面を上手く合わせること、、、。

2日にわたりいろいろ考えて、まず接着剤が歯の周りや置いている所に引っ付いてしまうと取れなくなってしまうので、付かないように歯科用のレジン分離材を置き、接着面だけに分離材が付かないように気をつけてその上に何とか歯を固定、薄いメスの刃をさらに薄くして、その先に接着剤を付けやっとの思いで二つに割れた歯の化石の接着修復完了♪

疲れましたぁ。。。

2009年2月22日 (日)

小さなワニの歯

Rimg0742

先日から暇を見つけては続けている前期白亜紀の脇野亜層群(宮若市)の石のクリーニング。

前回紹介してから2個目の小さなワニの歯が確認できました。

私の指の指紋から小ささが分かると思います。

この他に約1~3ミリの魚類と思われる歯も複数確認しています。

こちらはあまりに小さすぎて紹介できるような写真がまだ撮れていません。

今後もマイクロスコープを用いてのクリーニングを進めていって、今まで分からなかった北部九州の前期白亜紀を解明していければと考えています。

2009年2月20日 (金)

久しぶりに更新

Rimg0743

すみません。

仕事が忙しく気持ちがブルーになっていたので更新する気力がなかなか持てなくて、、、。

前回から徹夜が2回あり、反動で(?)その朝にビーチコーミングに出掛けたりもしました。

数日前は冷え込んでウスバハギの漂着があったのですが、浜に到着した時は既明るくなっていて、どれもカラスやトンビに突かれた後、、、。

あ~あ残念。。。

代わりにといってはなんですが、そろそろ漂着し始めたワカメを持ち帰り、さっと茹でて酢味噌で食べたり、めかぶのとろろで食べたりと美味しくいただきました。

写真はこの前の山の散策で持ち帰ってきた石を細かくしているところです。

歯科用のマイクロスコープで見ながらこれらの道具を使って細かくしていきます。

すると小さな魚の歯なんかが見つかるのですよ。

でもあまりにも小さくて(1,5ミリくらい)1つ無くしてしまいました。

悲しい。。。

2009年2月12日 (木)

先日の収獲は。。。

Rimg0731

先日、あべさんと一緒に宮若市内にある中生代白亜紀前期の関門層群脇野亜層群千石層を調査した際、怪しそうな岩塊を持ち帰りました。

その後自宅で歯科用のマイクロスコープを用い少しづつ砕きながら化石がないか確認しました。

すると小さな硬鱗魚のガノイン鱗(1mm~6mm)を複数枚確認。

よく分からない骨片や、なんとカメ(潜頸類)の頸骨!(これは博物館行きになるでしょう)も含まれていました。

そして写真のものも。

これはワニ類の歯と思われます。

石を砕く際、運悪く破壊してしまいましたが(分離が悪くて)、凸凹型を接着しなおし破折を免れた面を改めてクリーニング。

なんとか標本らしくなりました。

2009年1月30日 (金)

日本古生物学会 第158 回例会

今日から3日間(2009 年1 月30 日(金)~ 2 月1 日(日))の日程で、琉球大学 沖縄県立博物館美術館を会場に日本古生物学会 第158 回例会が開催されます。

今回、その中で私が関わった発表も予定されています。

分類・生層序の部の

・・・福岡県宮若市に分布する下部白亜系関門層群脇野亜層群中に発見されたフズリナ石灰岩礫について・・・

がそれで、いのちのたび博物館の学芸員さんによって発表されます。

私は仕事、、、。

行きたかったなぁ。。。

2009年1月 4日 (日)

ウミユリ片


今日は昼まで仕事。
昼からは職場(歯科医院)の今年の個人個人の目標設定などを話し合うミーティングでした。

それらが終わったのが15時過ぎ。
その後、バタバタあべさんと合流して筑豊地区の山中へ調査に入りました。
ちなみにあべさんは私と合流する前に山中で鹿3頭と遭遇したそうです。

そして見つけたのが写真の石灰岩礫の中にあるウミユリ片。(分かりにくいと思いますが)
中生代に堆積した礫の中に古生代の生物の痕跡が確認できる面白い証拠です。
夕方で山の中ということもあり、辺りはどんどん暗くなってきて山を下りました。

2008年2月11日 (月)

脇野亜層群の植物化石


関門層群脇野亜層群からの植物化石の報告は少ないが最近標本の追加が出来た。

しかーし!悲しいことに取り出す時、風化による細かいひびがたくさん入りバラバラに(涙)

ある程度繋げたのがこの写真。

このソテツ類とみられる種類は検討中ですが以前ブログ(http://blog.q-ring.jp/maakunz/93)で紹介したものに似てますね。

2007年11月 6日 (火)

宮若市の白亜紀魚類化石2

以前にブログに上げた福岡県宮若市の関門層群脇野亜層群千石層の魚類化石の別の標本を紹介します。

この標本は、前回上げた標本を見つけた場所から20センチと離れていないのですが、変形が著しく見えます。

脇野亜層群の化石全般に言えることですが、場所によってはかなり変形していることが考えられ、種の判別には特に気をつける必要があります。

例えば巻貝のブロティオプシスを一つ取っても、変形により細長くなっていたり、ぺちゃんこになっていたり、太く短くなっていたり一見同種とは思えないこともしばしばです。

そこで今回は意図的に変形させた写真を添付し2枚の写真を比べてみました。

こちらは実際の写真。斜めに細長く変形しているように見えます。
横に見えるのは大きさの比較のためのシャープペンシルの先です。


こちらの写真が上の写真を変形させたもの。
これが正解と言うわけではありませんが随分と様子が変わります。
もう少し横に伸ばした方がいいかな?

写真では判りにくいですが、魚類化石の範囲は茶色い部分だけではありません。
黒っぽい部分にもヒレが確認できます。

背骨が連なっている付近に小さな丸いものが見えるでしょうか?
これはバラけた椎体で、上の写真は楕円形に見えます。
おそらく変形によるものです。
これを円に近づけ、ヒレの位置を変えたものが下の写真と言うわけです。

博物館の先生に見ていただいたところ、この標本もアオキイクチスと考えられるとのことです。

2007年10月31日 (水)

韓国・晋州市の・・・

西日本新聞の筑豊版(2007.10.30)に「韓国の中学校関係者 宮若市を訪れ国際交流要望」という記事が載っていた。

読むと「韓国・晋州市の晋州東中学校の関係者が宮若市役所を訪ね、同市内の中学生との国際交流を要望した」とある。

私の頭に浮かんだのは以前化石研究部会のメンバーで訪れた韓国・晋州市内でのエピソード。

偶然通りかかった工事現場で、中生代白亜紀の植物・昆虫などの化石を発見し、そしてそれまであまり知られてなかった魚類化石群の存在が明るみになったこと。

この韓国の地層は慶尚層群と呼ばれ、日本の筑豊・北九州地方に分布する脇野亜層群とほぼ同時代の地層であると考えられています。

この脇野亜層群の「脇野」とは地層の模式地の宮若市脇野地区から取って名づけられたもので、最近同地区からあべさんと私とで魚類化石を確認しています。

慶尚層群で確認された魚類化石群の中には、北九州地方の脇野亜層群の魚類化石群と同種と考えられるものがあると北九州市立自然史・歴史博物館の藪本先生が発表されています。

つらつらと書きましたが、要は、韓国・晋州市と宮若市は太古から関係が深いと言いたかったんです(笑)

遠く1億3000万〜1億2000万年前、両地区は同じ大陸の端の河川や湖だったと考えられ、様々な恐竜が行き来していたことでしょう。

2007年8月19日 (日)

化石観察会


昨日は飯塚市教育委員会主催の「おもしろ体験歴史館」の中のイベントの一つ「化石の観察会」があり、今回私は講師ということで参加してきました。

場所は宮若市の千石峡。
このシーズンはキャンプや水遊びの家族連れで賑わいます。

前にも何度か千石峡の化石について触れましたが、一帯は中生代白亜紀前期(約1億3000万年前)の河川や湖で堆積した地層が露出していて、巻貝などの化石が見られるところです。

天気の良い夏休みの土曜日に大勢で行って化石観察ができるか、ちょっと心配でしたが、なんとか無事に大成功でイベントを終えることが出来ました。

まず心配したのが車の駐車。
比較的多い下流を避けて、上流の広い駐車場を利用することでこれは解決!

次に化石の観察。
下流のワキノサトウリュウの発見地には歩いて行くには遠く、貝化石の露頭の観察は山手は草が多く断念。
それならと、下流の川原の露頭まで歩いて移動することに。
今回この選択が良い結果を招くとは、、、。

途中説明を入れながら移動していると、山から道に落ちてきている小さな転石に巻貝の化石が入っていて、参加者の皆さんが順調に見つけていっていたのです。

「あった!」

「これは?」

と、子どもたちの声。

楽しんでいただけたかな?

企画していただいた飯塚市教育委員会の皆さん、ボランティアで参加していただいた日有喜の皆さん、手伝っていただいたあべさん、引率の保護者の皆さん、子どもたち。
お疲れ様でした。

注意:現地は渓流公園のため、ハンマーを用いた採集は石を尖らせケガの元になり大変危険です。
公園内ではハンマーの使用は止めましょう。
今回ももちろん使用していません。

2007年8月18日 (土)

午後から観察会

今日は午後から野外での観察会です。

暑そうだなぁ。。。

一番心配なのは車が駐車できるかどうか。

通常夏は化石観察や採集には向かない季節。

なぜかというと、草ボーボーで地層は良く見えないし、蚊に刺されるし、ヘビもたくさんいるし、海や山には人がいっぱいいるし、、、。

今日の場所は人の多さですね。

どうだろう。。。

2007年8月 9日 (木)

直方市の白亜紀魚類化石「シナミア類」


写真のものは福岡県直方市内の中生代白亜紀の地層(関門層群脇野亜層群)から発見された魚類化石で絶滅種のシナミア類と考えられる化石です。

全体でなく一部ですので分かりにくいかもしれませんが、菱形の文様がガノイン鱗と呼ばれる硬い鱗のあとです。
ヒレも一部確認できます。

この標本は発見した後、北九州市立自然史・歴史博物館に寄贈させていただきましたが、現在福岡県飯塚市で開催中の「筑豊とその周辺地域の化石展」に出品のためお借りしております。

2007年8月 8日 (水)

宮若市の白亜紀魚類化石


福岡県宮若市で初めて確認された中生代白亜紀前期の魚類化石です。(関門層群脇野亜層群千石層)

白亜紀の関門層群脇野亜層群の魚類化石といえば、北九州市の魚類化石群が有名ですが、他の市郡からの報告は聞かず全体的な分布は謎でした。

私はまず、直方市に分布する脇野亜層群の地層を調査し、保存の悪い数個体の魚類化石を確認しましたが、種の特定には至りませんでした。
さらに調査を重ねるうち、直方市の魚類化石が出た地層の下部からガノイン鱗が綺麗に並んだシナミア属とみられる魚類化石を確認することが出来ました。
これは残念なことに割れていて破片なのですが、全部揃っていたら素晴らしい標本だったでしょう。

その後のこと、数年経って同じ研究部会のあべさんから宮若市で魚類化石がいくつか出ていることを教えていただきました。
あべさんは、宮若市に分布する関門層群脇野亜層群から魚類のウロコ(円鱗やガノイン鱗)や保存の悪い骨、そして割と保存の良い魚類化石の断片を採集してらっしゃいました。

さらに良い標本を追加して脇野亜層群全体の魚類の分布解明に役立てたいと行動を共にしました。

そして追加できた標本が写真の魚類化石です。

この標本、保存が非常に良く鱗まで保存されています。
頭がないのが残念ですが、北九州市立自然史・歴史博物館の藪本先生に見ていただいたところ、「アオキイクチス」ではないかとの事。
この類は現在のところアロワナやイクチオデステスの仲間と考えられています。

この標本を含む筑豊地区の魚類化石は飯塚市で開催されている「筑豊とその周辺地域の化石展」で26日まで公開されています。

2007年4月 8日 (日)

筑豊地区の白亜紀ストロマトライト 5


これも直方市内産出のストロマトライト。
写真で縞が見えるかな?

このストロマトライトの生成時期は中生代白亜紀前期、今から約1億3000万年前である。

このストロマトライトを含む地層のすぐ上方からは亀の甲羅片を採集しています。
なんとなくですが、当時の情景が頭の中に浮かんできます。

地球が誕生してから今までに46億年の時が経っていますが、ストロマトライトが誕生したのは現在のところ27億年前頃と考えられています。

以前、西オーストラリアで約35億年前の地層からストロマトライト状の構造が見つかり話題となりましたが、後にその地層の当時の水深が約1500mの深さがあり、シアノバクテリアが光合成をしていた証拠とは言い切れないという結論になっています。

いずれにしろストロマトライトを形成したシアノバクテリアは光合成を行うことにより、この地球上に酸素を供給する重要な役割を果たす結果となったことに間違い無いと言えるでしょう。

2007年4月 5日 (木)

筑豊地区の白亜紀ストロマトライト 4


「筑豊地区の白亜紀ストロマトライト 3」で紹介した球状の小さなストロマトライトを含む母岩中に含まれていた「ビビパルス」というタニシの仲間です。

その他にも、規則的に並んだストロマトライト中にもビビパルスを確認しています。

筑豊地区の白亜紀ストロマトライト 3


写真は小さな球状のストロマトライトと思われるものです。
これもまた、直方市内の採石場が操業していた時に見つかったものです。

これまでに何枚か写真で紹介した筑豊地区の脇野亜層群のストロマトライトの形状の他にも、巨大なストマトライトを地層中に確認しています。
私が確認したものは宮若市内と直方市市内です。

以前、北九州市内で見つかったものは、北九州市立自然史博物館で、「エンドフィカス・ワキノエンシス」として紹介されています。

前にも触れましたが、この堆積物はいったいどのようにして出来たものなのでしょう。

現生のストロマトライト、オーストラリアのものを例にとって潮の満ち引きで縞が形成される話が本でよく紹介されています。
では、河川の三角州や湖の堆積物と考えられている脇野亜層群ではどのように形成されたのでしょうか。

私は専門家ではなくアマチュアですし、はっきりした答えを出すことは出来ません。

ただ思うに、光合成をすることから水の深いところではなく、浅いところに生息するということ。
水の中に、ある程度の砂や泥が存在している条件があること。
日中、陽がさして活発に成長?したあと、砂や泥が付着する。
そしてそれが繰り返され縞が形成される、、、。

う〜ん、そんな風に思うけどどうなのかなぁ。。。

形状の違いは水流によるものなのか?
大きいものは長い期間の成長によるものとして、球状のものって水の流れがあるときにできるものなのか?
同じ地層面に、こぶし大のストロマトライトが規則的に綺麗に並んでいるのは、水の流れが緩やかもしくは止まっている状態でできたものなのか?

あー、こりゃもっと勉強しないといけません(汗)

筑豊地区の白亜紀ストロマトライト 2


写真は直方市で採集したストロマトライトの一つの塊です。
下から上に向かって細かい縞があるのですが、写真では分かりにくいですね。
表面を研磨すると確認しやすいのですが、、、。

このストロマトライトを形成するシアノバクテリアですが、最近職場でメダカを飼っている水槽に発生して困ったことがありました。
なにせ、水槽では邪魔な存在なわけで、、、。

縞々が出来る様子は水槽では観察できそうも無かったのですが、縞はシアノバクテリアの表面に付着した砂によるものと考えられています。
表面に砂が付くと、また成長し、その上に砂が付くとまた成長し、その繰り返し、、、。

海の場合は潮の満ち引きで形成されるのが想像できますが、その他はどうなんでしょうね。

確かに水槽の中のものはネバネバしていて何でもくっ付きそうでしたが、このシアノバクテリアは現在5000種ほどいるそうで、それぞれ生態は異なるそうです。

2007年4月 3日 (火)

筑豊地区の白亜紀ストロマトライト 1


写真は、前回のブログ≪「筑豊とその周辺地域の化石展」に向けて≫で紹介した写真の石の表側です。

ちょうどストロマトライトの部分が石灰質なので、雨により表面が少し溶けた状態になっています。

その部分をよく観察すると、下から上に向かってドーム状に細かい縞模様が形成されているのが分かります。

ストロマトライトについては前回ちょっと触れましたが、もう一度考えてみたいと思います。

このストロマトライトという層状構造をもつ堆積岩はシアノバクテリアという光合成を行なう細菌によってつくられました。

このことは以前から知識としては知っていましたが、いまいちよく理解できていませんでした。

子どもの頃は、現在の地球の酸素を作ってくれたありがたい生き物であるという認識があり、また、ずっと藍藻(らんそう)類と呼ばれていたために「藻類?植物なん???」と疑問を抱いていました。
それに、いつの時代から存在していたのかといった疑問もありましたし、どうやって層状構造を形成したのかという疑問も持っていました。

そんな疑問が多いほど、「知りたい」とか「面白い」と思うものです。

この疑問は古くから地質学者が抱いてた疑問でもあり、多くの学者が研究し、現在までに解明されてきました。

その疑問に大きなヒントをくれたのが、1960年にオーストラリアのシャーク・ベイの湾のハメリーンプールの海岸で発見された現生のストロマトライトでした。
それらは白い砂地の浅瀬に黒っぽい石のように立っている状態で見つかりました。
詳しくこの物体の表面を調べたところ、光合成を行なう細菌であることが判明するのです。

この光合成を行なうという理屈から私は子どもの頃、植物に分類されるのかと思っていました。
実際、そういう風に考えられていた時代もあったようです。

では藻類かというと、最近それもまた異なるという結論になっているようです。

やはり光合成を行なうといったことが、原始的な藻類といった考えを生み、藍藻類といった名称になっていたのでしょうか?

しかし、このシアノバクテリアには核がありません。

そこで核を持つ多くの種がいる藻類とは区別するようになり、最近では藍藻という名称は使われなくなってきているようです。

2007年3月 5日 (月)

笠置山


日曜は昼から、白亜紀の脇野亜層群が分布する笠置山へ、同じ北九州自然史友の会のあべさんと2人で登山しながら調査へ行ってきました。
千石層を追いながら巻貝・二枚貝の層を確認しつつ登山。
久しぶりに山を登ったんだけど、いや〜体力が落ちてますねぇ、、、。
足が思うように動かん動かん、、、。

2007年2月24日 (土)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・35・帰国後5

韓国で型取りしてきたシリコンラバーですが、まだ後数回は使える状態です。

そこで共同で材料を出した熊本市立博物館の先生と、北九州市立自然史・歴史博物館で使うことを決め、使ったシリコンラバーは熊本市立博物館にお渡しすることとしました。

さあ、北九州市立自然史・歴史博物館「いのちのたび博物館」では、どこにこの型を使っているのでしょうか?

博物館を入って右手に行くと、たくさんの恐竜の全身復元骨格が展示してある「アースモール」があります。
そのまた右手の壁に、、、。

これですよ〜♪
人やゾウ、鳥などの足跡と一緒に並んであります。
博物館にお出での際に探してみてくださいね。

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・34・帰国後4

久しぶりの韓国恐竜足跡見学記の続編です。

現地で歯科用のシリコンラバー印象材で型取りした足跡はどうなったかというと、、、。

とにかくまぁ大きな型だったので、家に持って帰るのも大変でしたが、この型に何の素材を流して再現しようかと考えて結論を出したのが歯科用の硬質石膏です。

お金が有り余っているならプラスチックでも流したいところですが、それはさすがに無理ですもんねぇ、、、。

さあ作業開始、シリコンラバーは柔らかいので、石膏の重みがかかっても変形しないように固定します。

その上から1�から1.5cmくらいの厚さで練った石膏を流して固めました。

ラバーを外すと、さすがに素晴らしい再現性で足跡が現れました。
しかし模型の安定性は悪い上に、薄っぺらで重量感の無さが気になります。

そこでまわりに枠を作ることにしました。
ただ、量が多くなると重くて持ち運びに苦労しそうなので、中に発泡スチロールを入れ、そのまわりに石膏を流す案を選択しました。

結果は、なかなか◎でした。

画像悪くてごめんなさい。
凸凹感が出なくて、、、。

近々色を塗って、より再現性を上げようと思います。

つづく。。。

2007年2月11日 (日)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・33・帰国後3

クリーニングが終了し、北九州市立自然史博物館(当時)に寄贈し、魚類担当の籔本美孝先生に研究を託しました。

私達北九州自然史友の会の有志が帰国した後、早速韓国で籔本先生を交えて現地調査が行われ、多くの貴重な化石が見つかったそうです。

慶尚層群東明層のこの場所(晋州)は恐竜足跡見学ツアーを引率いただいた岡崎先生を記念して、Okazaki Siteと呼ぶようになったと聞きました。

この化石については1999年6月に行われた日本古生物学会 第148回例会のポスターセッションで籔本先生と韓国慶北大学の梁先生により「大韓民国の前期白亜紀慶尚層群東明層からのシナミア科魚類化石」として発表されました。

写真は2006年の韓国古生物学会誌で、この中には日本と韓国の魚類化石についての研究が書いてあります。

この中には、、、。

私が発見しクリーニングしたシナミアの化石が、籔本先生により、論文とカラー写真で紹介されていました。

なんと私の名前まで書いてあったのにはびっくりでしたが、標本が世界で活用されるのは嬉しいことです。


2007年2月 4日 (日)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・32・帰国後2


歯科用のマイクロモーターの先につけるカーボランダムバーの使い古しを利用して(タガネの代用)、豆槌と呼ぶ小さな金槌でコンコンコンと軽く叩いて、化石表面を覆っている石を剥いでいきます。
前回のブログの写真に写っている外科用のメスも表面を取り除くのに便利です。
この方法は、化石を含む母岩によって使える場合と使えない場合がありますが、今回はこの方法でうまくいきました。

写真は魚の尾びれの様子です。

この標本は残念ながら全体は採集できませんでしたが、部分的でも骨格が非常に良く保存されていて貴重であると思われました。

このクリーニングが終わりしだい、北九州市立自然史・歴史博物館の魚類担当の籔本先生にお渡しする予定です。

私は急ピッチで作業を進めました。

つづく。。。

2007年2月 2日 (金)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・31・帰国後1

帰国後、早速韓国の慶尚層群から産出した化石群の中の魚類、それも「ガノイン鱗」の持ち主のクリーニング(母岩から化石を出す)を開始した。

この化石は保存がよく、比較的クリーニングしやすいように思えた。
後はじっくり根気との戦いだ。

当時勤めていた中間市の歯科医院の技工室で、昼休みの時間を利用して作業した。

歯科技工の道具は、化石のクリーニングに好都合なのだ。

つづく。。。

2007年1月25日 (木)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・30

最終日は釜山での観光でした。

国際市場や魚市場も見学し、夜、ホテルへチェックインした後、みんなで買い物に出掛けたのですが、どの店も夜遅くまで営業していて人通りも多くびっくりでした。

写真は見ての通り、石焼きビビンバです。
中央に複数の小皿が並んでいるのは「キムチ」です。

韓国で料理を注文すると、無料で当然のように色んな種類のキムチが出てきます。

先日のテレビ「SMAP×SMAP」に出演していた「チャングムの誓い」のイ・ヨンエさんは、韓国のキムチの種類は100種類くらいあるんですよと話してましたね。

また、日本で定番の白菜のキムチ一つ取っても、各家庭で味が異なっていて、辛いだけでなく酸味が効いていて、すっぱく感じるものもありました。

今回のツアーは、恐竜の足跡見学や化石産地発見、そして韓国の文化を体験と、内容の濃い素晴らしい旅となりました。

帰国後編でつづく。。。(もうしばらくお付き合いください)

2007年1月23日 (火)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・29

晋州の産地からの化石続編。
写真は魚の鱗です。

実はユスリカの幼虫などの写真を撮ってアップしようとしたんですけど、これが大変難しくて断念。

なにせ小さいうえに、石に当たった光の具合で見えたり見えなかったりするものなのでうまくいきませんでした。

ちなみに、まだクリーニングしていない化石を含んだ石が倉庫の中のプラスチックケースに少し残っていますので、今後確認作業をしなければ、、、。

とまぁ、これだけ多くの化石が見つかったわけですから、当然大量の石を持ち帰ったということになります。

こういう時、国によっては国外への化石の持ち出しを禁止している所もありますので注意しないといけません。
もし違反すれば罰を受けないといけなくなる可能性があるということです。

今回のケースでは、博物館の先生方が日韓中の共同研究を先に控えていたということ、それも三国の白亜紀前期の魚類などの化石が非常に似通ってて(例えば日本は北九州市小倉の魚類化石)その解明に役立つこともあり、研究のため持ち帰る必要がありました。(韓国古生物学会了解済み)

ツアーでこの地を後にして次の目的地で観光する際、ショッピングで化石を入れるバックを買わないといけません。

釜山のカバン屋さんで、ブランド物のバックを勧める店員さんに「私はブランドには興味ない」と言って、「たくさん買うから安くして」と4つ5つ丈夫そうな安いバックを買いました。

そのバックに壊れないように化石を新聞や布で丁寧に包み入れたのですが重い重い、、、。

つづく。。。

2007年1月20日 (土)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・28

写真の化石を見たときは「何だこりゃ?」と思いましたね。

特に変わった様子もない黒色頁岩をパカッと割ってみたら、一つの同じ面にびっしりと奇妙な生物化石が、、、。

ぱっと見、現生の川に生息するヒラタドロムシのようなものかな?とも思いましたが何か違う、、、。

見ようによっては三葉虫のようにも見えますが、一番近いのはダンゴムシかなぁ、、、。

誰かがコバンムシと言ったので、コバンムシかぁぐらいでそれ以上考えなかった。

詳細が分かったのは最近のこと。

いのちのたび博物館で、甲殻類・貝類専門の下村先生に見ていただいたところ、Isopoda C Cirolanidae,Cymothoidae あるいは上記に近縁の科ではないかとのことでした。

この生物、なんと水の中に棲む「ダンゴムシ」だそうです。

今でも海に生息している種がいるとか、、、。

う〜ん、色んな生物がいるんですねぇー

こういう生物に巡り合えるのも、化石の楽しさの一つですね。

イソポーダというダンゴムシの仲間の他にも、写真の地層面には種類不明の昆虫???のような生物化石を含んでいます。

ほんとにこの産地、化石が濃いなぁ。。。

つづく。。。

2007年1月16日 (火)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・27

そろそろこの現場もタイムリミット。
次の予定地への移動の時間になった。

短時間での調査だったが、発見した化石の内容は濃いものとなった。

メンバー皆の採集物を総合すると・・・

数種の魚類・鱗・カゲロウの幼虫・ヤゴ・ユスリカの幼虫(ボウフラ)・ゴミムシ?のような翅やゾウムシ?のようなものなどの甲虫類・エステリア・オストラコーダ・コバンムシ・複数種の植物の葉・木の実のようなものなど、、、。

このうち私が採集した標本を、いくつか紹介します。

まずは、種類不明の甲虫の翅です。(写真)

つづく。。。

2007年1月15日 (月)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・26

次々と魚類化石が見つかっている地層を追って、横に移動し石を叩いた瞬間、割れた石の表面がキラキラ光った。

そこには、硬くて厚みのある「ガノイン鱗」が綺麗に並んでいた。

「この割れた石のかけらは、どの母岩からのものか、探さねば、、、。」

私は興奮しながら『鱗の主』が眠っている層を探して取り出しにかかった。

必死だった。
出来るだけ大きく取り出したかったのだが、地層の途中を横から奥に向かって取り出すのは人力では限界があった。
おまけに時間もない。
ようやく取り出した石が写真のものである。

この母岩の中に『鱗の主』が眠っている。
「ガノイン鱗」が並んでいる石のかけらは、この母岩から外れたものだ。

母岩を横に一本の筋が見えるのが分かるだろうか?
少し盛り上がったこの部分の下に、背骨があると思われる。


こういう場合、現地では化石そのものを取り出したり、化石のある面を出したりはしない。

化石を取り出すことを化石のクリーニングというが、これは家に帰ってから、綺麗に片付いた机で、ナイフやカッター、拡大鏡や瞬間接着剤などの必要な道具を用意し、準備をきちんと整えてから作業にかからねばならないのだ。

たとえ小さな1mm以下の化石のかけらであっても大事にする。
捨てたり無くしたりなんてことのないようにするのだ。
私の場合、バラバラになっても、拡大鏡を使って根気良く修復するように努めている。

この魚も、日本に帰ってからのクリーニング作業だ。

つづく。。。

2007年1月14日 (日)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・25

魚の化石が発見されてからの現場は活気付いた。

魚を頭にイメージしながら意識して探すと、魚の背骨や鱗の化石が次々に見つかっていったのだ。

私も最初に魚の化石が見つかった場所のすぐ横で小型の魚の背骨を見つけることができた。

どうやら同じ層準にたくさんの魚類化石が眠っているようだ。

さらに探すと写真の魚の化石も見つかった。
(まだ隠れている部分があるため、全体は見えていません)

ツアーに予定していない出来事だったため、調査の時間が限られていた。

もしかしたら明日には重機がこの地層を削り取って産地が消滅してしまうかもしれない、、、。

今回の訪韓は、岡崎先生から韓国側の古生物学会の先生には伝えてあるし、今後すぐにこの化石産地の詳細は韓国側に伝えられ適切な対応がされることだろう。

しかし今は出来るだけ標本を集めて、この現場の状況を把握する必要があった。

「くそー、時間がほしいなぁ」

そう思いながら探していると、、、。

「おおぉー!」

つづく。。。

2007年1月11日 (木)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・24

9月29日(月曜日)
晋州のホテルの今日の朝食はアメリカンスタイルだ。
昨日は韓定食だったけど美味しかったなぁ。。。

食事を終え、用意してホテルを出た。
今日の夜は移動で別のホテルに泊まる。

私たちは、マイクロバスで昨日の工事現場へ向かった。

日曜は工事関係者は1名だけだったが、今日は平日ということで人が大勢いて工事車両も出入りしていた。

昨日交渉した方に再度お願いをして調査開始。
すると現場監督さんらしき方から切り立った崖の方には近づかないようにしてくださいとの話があり、崖から離れたところで調査することになった。

崖の黒色層からは昨日、昆虫化石がたくさん見つかっていたので残念だった。
メンバーが採集していた「カゲロウ」の化石を私も見つけたかったが仕方がない。

崖から離れて、まだよく見てなかった下部の地層をメンバー皆で調査する。

でもなかなか化石が見つからない、、、。

そのうち、気がついたら何人かが危ないからと言われた崖ではなく、低い崖の黒色層を叩いていた。
メンバーそれぞれが昆虫化石や植物化石などを発見し、成果をあげていっていた。

そのうち歓声が上がった。
マイクロバスの運転手さんとkawaさんが見事な魚の化石を発見したのだ!

つづく。。。

2007年1月 7日 (日)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・23

恐竜足跡産地を後にして、私たちはチャーターしたマイクロバスで魚料理の店に向かった。

この周辺は運転手さんの故郷でよく知っているとのこと。
それにしても狭い道でもよく飛ばす。

途中、市場を見学。
しかしどこの店も人が居ない。
すると店の奥で声がする、日本対韓国のサッカーの試合があっていたのだ。
皆仕事そっちのけでテレビに釘付けだったみたいで、そのうち試合が終わって店先に出てこられた。
笑顔で、、、。
日本は負けてしまったのだ。
そのせいか、店員さんはえらく愛嬌が良かった。

歩いていくとスーパーがあったので覗いてみると、辛ラーメンや韓国海苔が信じられないような安価で売っていた。
観光地では数倍の値段で売っていたような?
とりあえず適当に購入。
土産物はスーパーを探して買うことにしよう。。。

食事をする店に到着。

店先に鮮魚がたくさん。

この手の店は韓国の海沿いでは、あちこちに見られた。

写真は魚を選ぶ先生方。

選んだ魚がこれ。

その場で、店のおばちゃんたちに捌いてもらいます。

恐竜足跡見学ツアーメンバー皆で新鮮な刺身をつまみに乾杯!
刺身はチシャのようなもので包んで食べます。

この時食べた、動き回るタコの料理が懐かしく思い出されます。

この日は、先日泊まった晋州のホテルに戻って宿泊です。
夜、一つの部屋にメンバー全員で集まってS先生が持ってこられたコーヒーや紅茶を頂きながら話をした。

気の合う仲間が集まって話をするのは、本当に楽しいものです。

そして明日の朝、もう一度、昆虫類などの化石の見つかった工事現場に行ってみようという話が決まりました。

ワクワクしながら就寝。。。

つづく。。。

2007年1月 6日 (土)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・22

型取りの現場を崖の上からパチリ。

この後、私たちはこの地を後にして魚を食べに市場へ向かいました。

足跡の型がどうなったかは、「帰国後編」にて紹介しますね。

現在この場所は整備され、足跡産地には「探訪デッキ」が、周辺には韓国初の「恐竜博物館」が出来ているとのこと。

名称は「固城恐竜博物館」で、住所地は、慶尚南道高城郡下二面徳明里85番地にあり、地下1階、地上3階の建物の中や外に恐竜骨格や一般化石が展示してあるそうです。

この博物館の前の通りの工事中には、なんと恐竜の足の甲の皮膚の痕跡も発見されています。

また、昨年の4月14日〜6月4日の期間には、固城郡唐項浦観光地にて大規模な「2006慶南固城恐竜エキスポ」が開催され国内外から注目されました。

行きたかったなぁ。。。

つづく。。。

2007年1月 4日 (木)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・21

もと来た道を戻り、最初に見学した足跡のところへ。

潮も十分に引き、地層面もほぼ乾いています。

ここで、今回のツアーの私の最大の目的である「恐竜足跡の型取り」を実行に移すことにしました。

まず、できるだけ保存のいい足跡を選びます。
今回はイグアノドン類の足跡を選択。
(回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・8と9参照)

その後、表面に付着したフジツボを持参した道具で取り除き、最後に熊本博物館のK先生が持ってこられたタワシで仕上げました。

さあ、いよいよ型取りです。

型取りに使うのは「シリコンラバー印象材」という歯科用の患者さんの口の中の型を採る材料です。

ここで歯科技工士の私のワンポイント講座?
歯科で口の中の型を採る材料は色々あります。
昔はコンパウンドという材料を使ったり、直接石膏を使ったりしていた時期もあったようですが、現在ではアルジネートという材料を使ったり、アルジネートと寒天とを組み合わせて使う方法がまずあります。
しかし、この方法だと時間が経つと材料に含まれる水分が蒸発してしまい、日本に帰る頃には大きく変形してしまいます。
で、もう一つの方法がシリコンラバーを使う方法です。
シリコンラバーの場合、よほど日が経たないと変形はほとんどしませんし、シリコンラバー材が切れたりしないかぎり繰り返し使えるという利点があります。
それに細かいところまでの再現力は素晴しいものがあります。

型取りに取りかかったところで「あれ?量が足りない!」

なんてことだ、思ったよりも量が必要だった。
なにせ歯科用の材料は値段が高いので、1セットしか持ってきていなかった。

ところが、なんとK先生が1セットと半分のシリコンラバー印象材を持ってきていらっしゃって、急遽共同で型取りすることになりました。

「ラッキー!」

イグアノドン類の足跡の型取りがうまくいったばかりか、余った印象材で肉食恐竜の足跡の型取りもすることができたのです。

写真中央の薄きみどり色のものが、シリコンラバー印象材。

スケールは、今回のメンバーさんが恐竜の歩行速度を割り出すために計測しているところです。

つづく。。。

2007年1月 2日 (火)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・20


恐竜足跡化石のある海岸の風景を見てみましょう。

潮が引けば、中生代白亜紀前期の湖に堆積したと考えられる地層がほんの少し斜めになった状態で露出します。

私たちは、その海岸を歩いて先に進みました。

地層の2面に連続した足跡化石が確認できますね。

どうです?この地層の綺麗なこと♪
地層を観察すると、当時湖の底にいたと思われる小さな底棲生物の這い痕や巣穴の痕がありました。

私とS先生の後ろは、波の浸食による「自然のトンネル」が出来ており、トンネルをぬけると、、、。


地層の壁の反対側に出られました。

とっても景色の良いところですよね!

実ちゃんさんは、ここで絵を書いてらっしゃいました。

ここで、もと来た道を戻り、最初の足跡化石のところで今回の目的の一つを実行します。

つづく。。。

2006年12月31日 (日)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・19

足跡化石は恐竜だけではありません。

写真中央に鳥の足跡があるのが分かるでしょうか?

写真では分かりにくいですが、円で囲っている部分以外にも鳥の足跡が確認できます。

この海岸では恐竜の足跡に混じって、たくさんの鳥の足跡も見つかっています。

私が行ったときにも地層中だけでなく、転石にも鳥の足跡があるのを確認しました。

つづく。。。

2006年12月28日 (木)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・18

付近の転石にも足跡のナチュラルキャストが見られました。

写真の丸く囲っているところに、3本指のパットがはっきりと確認できます。

こんなふうに、目の前にゴロンと足跡化石が転がっているなんて驚きです。

つづく。。。

2006年12月24日 (日)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・17


ちょっと分かりにくいかもしれませんが、写真の状況ついて説明します。

写っているのは海に面した崖の一部で、下の方は波による侵食で削られています。

私はというと、波によって削られてできた洞の中に寝そべって、足を上げて地層の上面を写しています。

その上げた私の足の横に写っている複数の凸状のものが恐竜の足跡なのです。

私のブログの回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・16で書いている「ナチュラルキャスト」がこれにあたります。
「真の足跡」や「アンダープリント」は波によって既に削られてしまっていると考えられます。

地層面には、びっしりとフジツボが付着しているのでちょっと分かりにくいですけどね。

私が以前、山口県下関市で発見し取り出したものも「ナチュラルキャスト」にあたります。

つづく。。。

2006年12月21日 (木)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・16


周辺には様々な状態で保存された恐竜の足跡が観察できました。
その中で地層の断面にみられるのがこの写真です。

これは割りと大型の足跡のようですね。

この写真の地層面を見るとお分かりと思いますが、幾層にも亘って凹みがあるのが観察できます。

つまり恐竜が歩いて付けた直接の凹みである「真の足跡」以外にも、その凹みに砂や泥が溜まってできた「ナチュラルキャスト」や、恐竜の重さから真の足跡よりも下の部分の地層が凹んでできる「アンダープリント」と、一つの個体が残した足跡でも様々なパターンがあるのです。

つづく。。。

2006年12月18日 (月)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・15


この時の足跡化石産地訪問で衝撃的だったのがこれ。

ここの地層面は、ほぼ水平で綺麗な平面なのに、この写真の地層面はひどい凸凹ですよね。

なんとこれ、恐竜の「沼田場」(ぬたば)ではないかというのです!!!

沼田場って、動物が泥を浴びることで、体についている寄生虫や汚れを落とす場所のことです。

現地で説明を聞いたとき、思わず「マジですか!」と叫んで驚いちゃいました。

この凸凹の一つ一つが恐竜の足跡で、複雑に重なり合っていることになりますよねぇ。。
いやぁビックリだぁ。。。

つづく。。。

2006年12月17日 (日)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・14

周辺の地層面をじっくり観察していくと、写真のような漣(さざなみ)の痕も確認できました。

漣の痕は、漣痕(れんこん)ともいいます。





一緒に写っているのは現地の子どもたちです。
この時、日本から来た私たち以外の人々は、恐竜の足跡にはまったく興味を示さず、磯遊びをしたり、家族で弁当を広げていたりしていました。
興味ないのかなぁ、、、。

つづく。。。

2006年12月15日 (金)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・13


イグアノドン類とみられる足跡。

少なくとも3つの連続した足跡が、同じ方向を向いて等間隔に並んでいるように見えますよね。

仲良く並んで歩いていたのかな?

つづく。。。

2006年12月14日 (木)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・12

周辺からは、カマラサウルス類とみられる竜脚類の足跡も見つかっています。
この写真の足跡も竜脚類のようですが、子供でしょうか。

つづく。。。

2006年12月12日 (火)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・11


それではこの徳明里海岸にある他の恐竜足跡を見ていきましょう。
とにかくこの海岸には、いたるところに恐竜の足跡が確認できます。
その数、なんと1900個余だそうです!
そしてこの海岸を含む固城郡全体では4300以上見つかっているとか(当時の資料なので現在はもっと増えているでしょうね)、凄すぎます。

写真の足跡はイグアノドン類でしょう。
(この地層面はフジツボは付着していませんでした。)

つづく。。。

2006年12月 9日 (土)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・10


イグアノドン類と同じ地層面にあった肉食恐竜の獣脚類のものと考えられる足跡。

こちらは三本指がはっきり分かる鳥脚類や獣脚類とは、まったく異なる竜脚類と考えられる足跡。

この地層面では草食恐竜である鳥脚類と竜脚類の足跡が多く、肉食恐竜と判断できるものは極端に少なかった。

一般に草食恐竜の多くは、群れで行動することが多いと考えられていて、イグアノドンの場合はバッファローのように群れで移動したようです。ですからそれらの足跡が発見される時は、数多くの足跡が同じ方向を向いていることが多いのもうなずけます。

前回と今回と、ここに挙げた足跡の写真は比較的恐竜の判別がつきやすかったわけですが、当時の地面の状態(ぬかるんでいる場合など)によっては、まったく形が異なる場合があるので注意が必要ですね。

つづく。。。

2006年12月 8日 (金)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・9


鳥脚類のイグアノドン類のものとみられる足跡。

足跡の周りが盛り上がっていて、軟らかい地面の上を「グニュッ」と踏みつけて歩いていった状況が想像できます。

それにしても、これが一億年以上も前のものとは考えられないくらい綺麗に残っていますよねぇ。

つづく。。。

2006年12月 7日 (木)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・8


前のブログの人物が写っていた場所の写真がこれです。

時間的に言うと、前のブログの写真が撮られたのはこの写真の後で、部分的に地層面が濡れているのが分かるでしょうか?

つまり満潮時には海の底になるということで、良い写真を撮るには、シャッターチャンスを見極めなくてはいけないのです。

この写真は、そのチャンスを待っている時に撮った写真です。

ここで注意。

1.地層面にびっしり張り付いているフジツボを取る。
(この時は事前に博物館の先生から状況を聞いていたのでフジツボを取る道具を持ってきていて、フジツボは地層面を傷つけることなく、綺麗に剥ぎ取ることが出来ました。
ここの地層面はもの凄く硬く、そのおかげで風化することなく爪の痕まではっきりと保存されています。)

2.海水が乾いていく度合いによって、違った写真が撮れる。
完全に乾いている写真も良いが、足跡の窪みに海水が溜まっている状況も分かりやすくて面白い。

このようなことを考えて撮影しました。

中央にある歩行跡はイグアノドン類と考えられているもの。
その周りには竜脚類のものとみられる足跡が点在しています。

それにしてもこのポイントはフジツボが凄かったなぁー

(しばらくはこのポイントの話をしますが、まだまだ恐竜の足跡化石の面白いポイントがたくさんありますので追って紹介します)

 つづく。。。

2006年12月 6日 (水)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・7


写真の右奥から手前に歩いて進んで来たところです。

一つ前のブログの写真の看板から海岸へ下りていくと駐車場があり、すぐ横にはお菓子やアイスなどを置いている売店がありました。
そこに車を止め、潮が引いた海岸を歩いて行きます。

ちなみに周辺は韓国政府により文化財に指定されているため、採集行為は禁止されています。

写真中央の人が立っているところに恐竜の足跡が確認できます。

つづく。。。

2006年12月 3日 (日)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・6


晋州の化石産地を後にして、今回の目的地である恐竜足跡を見学に固城郡徳明里海岸(当時私たちは三千浦と呼んでいた)を目指します。
マイクロバスで現地へ入っていくと、岡崎先生が以前来られた時と比べると随分観光地として整備されていて様子が違っているとおっしゃっていました。
写真がその入口です。
(現在はまた違っているかも)
いよいよ海岸へ下りていきます。

つづく。。。

2006年12月 2日 (土)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・5

  「化石産地発見」
ツアー2日目の9月28日(日曜日)今日は恐竜足跡見学の日だ。
早朝、我々の乗ったマイクロバスは、晋州のホテルを後にして少し予定を変更し昨日の工事現場へと向かった。
昨日は大勢の作業員や重機、ダンプが動き回っていた工事現場だが、日曜日ということもあってユンボが1台動いているだけだった。(シリーズ3の最後の写真)
さすがに無断で入るわけにはいかないので、ガイドさんを通して掛け合って、現場に入ることを許可していただいた。

13名のメンバーの何人かは「商売道具?」のハンマーとタガネを「もしも」のために持参してきていました。

え?私ですか?もちろん持っていっていましたよ(笑)

まずこの現場の地層の下部層から見てまわることにしたのだが、恐竜足跡を含む慶尚層群と同じ地層であろうと思われたので足跡化石が含まれてないか探したが見つからない。

そのうち韓国フリークの化石研メンバーのじっちゃんさんがエステリアを見つけました。

よーし、俺もエステリアを見つけるぞー!と張り切りましたがなかなか見つけれません。

写真は、後に現場で私が採集した「エステリア」
以前ブログでも紹介したカイエビの仲間です。
簡単に説明すると、殻を持つミジンコで、過去のブログを探してもらうと生きたカイエビの写真がありますよ。

さらに探していくと、私とじっちゃんさんが一枚の大きな石の中にいくつかのガノイン鱗 が入っているのを見つけました。石が大きすぎるので持ち帰りやすい大きさに割ります。

ガノイン鱗とは硬い鱗に覆われた硬鱗魚(現在でいうと古代魚と言われるガー類など)の鱗のことです。

この頃、この層よりも上部の黒色の葉理の発達した地層から岡崎先生らによって昆虫類が発見されていました。
ボウフラのようなものやヤゴ、カゲロウの幼虫や植物類(写真)などなど。


とにかく、この時は皆興奮状態。
ここは化石産地としては知られてない場所だったのですから、、、。
しかしそのうち次の目的に移動しないといけない時間になり興奮冷めやらぬままバスに乗り込みました。
(この場所の話は実はまだ続きがあるのです、、、。)

つづきます。。。

2006年11月30日 (木)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・4


写真はこの日泊まった東邦ホテルです。
まだ出来たばかりなのか新しく綺麗なホテルでした。
私は、いかにも韓国らしい床暖房の「おんどる」の部屋に熊本博物館のK先生と化石研究部会のIさんと一緒に泊まります。
暖かいのが好きな私には大変嬉しい設備です。
この日の夕食は近くのアナゴ料理の店に行くことになりました。
これから4日間、辛いものづくしの始まりです。
しかしこのアナゴ料理、これが実に旨い。
自分でアナゴに辛い特製のタレをつけて炭火で焼き、チシャ様の野菜に好みで味噌などをのせた上にアナゴを置き巻いて食べるというもの。
ただひとつ残念だったのは、アナゴをたらふく食べた後に出てきたご飯。
一緒に食べたかったなぁ〜

夜は街を散歩して床につきました。

明日は日曜日、例の工事現場に立ち寄るために早朝からの出発です。

つづく。。。

2006年11月28日 (火)

回想「韓国恐竜足跡見学記」1997年編・3

釜山から離れるにつれ、バスから見える風景の地層は、花崗岩質の地層(マサ)から変成岩、そして今回の目的である中生代白亜紀の地層「慶尚累層群」へと変わっていきました。
それも面白そうな地層ばかり、、、。
「何かありそうだなぁ、、、。」
そう思いながらも高速道路を通ったため、地層を調べようにも車を止めることが出来ず残念な思いに、、、。

移動中のマイクロバスの車内の様子です。
何だか、探検隊といった感じですね。

高速道路を下り、晋州へ入ります。
今日泊まるホテルに着く前に、とある工事現場の前を通りました。
「お!」
みんな口々に「明日現場へ行ってみよう」という話になりました。

写真がその工事現場です。

この現場で明日、想定外!?の出来事が起こることになろうとは、、、。

この時はまだ誰も分かりませんでした。。。


つづきま〜す!!!

回想「韓国恐竜足跡見学ツアー」1997年編・2


福岡から釜山までは、空港での手続きの時間を除けばあっという間に着いた感じです。何せ機内でお菓子のサービスがあったのだけれど食べきらないうちに着いちゃったので、、、。写真は釜山、戦闘機が見えます。

空港到着後、今回チャーターしたガイドさん付きのマイクロバスで晋州まで移動です。
とにかくバスの中から見える風景全てが新鮮で、日本語が上手なガイドさんの話を興味津々で聞いていました。


写真は高速道のサービスエリアです。
韓国では皆さんよく飛ばす飛ばす。
車間距離をあまり開けずに、よくぶつからないなぁと思うくらい、、、。
それにしても高速道路上で渋滞したとき、どこからともなくお菓子を売りに来る人が出てきて車の横に来たのにはびっくりしました。
今はどうか分かりませんが、普通の光景だそうです。
試しに買ってみましたが、食べた感想は塩味のポンポン菓子の大きな煎餅といった感じで、結構美味しかったです。

つづく。。。

2006年11月26日 (日)

回想「韓国恐竜足跡見学ツアー」1997年編・1


皆さんはお隣の国「韓国」が世界的に有名な「恐竜足跡化石産地」であることをご存知でしょうか?

韓国は、アメリカ・カナダと並んで世界三大恐竜足跡産地と言われるほどです。

私が住んでいる福岡県ならば海外といえども、ほんの僅かな距離しか離れていません。

当時は日本は恐竜ブームが続いていて、多くの恐竜関係の本が出版されていました。
その中には足跡化石の話題に触れてあるものも多かったのですが、韓国の足跡に関しての記事は少なかったですね。

1993年に山口県下関市で恐竜足跡化石を発見していた私は、共に白亜紀初めのほぼ同じ時代、大陸の端にあったと考えられる韓国と西日本の当時の環境に非常に興味があり、「いつかは行ってこの目で見てきたい」と思っていました。

1997年(平成9年)のこと、待ってましたとばかりに、私が所属する北九州自然史友の会内で「韓国恐竜足跡ツアー」が企画されました。

北九州市立自然史博物館(当時)の岡崎先生をはじめ集まった有志13名。
メンバーは皆さん化石に関しては凄い方ばかりです。

1997年9月27日(土)〜30日(火)の予定で、一行は福岡空港から韓国釜山へ向けて出発しました、、、。

つづく。。。

(かなり前の話ですが、当時の日記や写真を交えながら書いてみます。
現地に関しましては、現在は随分様子が違っているようです。
ある意味、私が体験したことや写真は貴重なものになったと思います。
続きをお楽しみに。)

『写真は韓国・三千浦の恐竜足跡化石を前に寝そべる私です。足跡の主は草食恐竜のイグアノドン類と考えられます。足跡のまわり以外の地層面が白っぽいのは、現地が海岸であり、地表面にフジツボが付着しているためです。足跡の付近だけフジツボを除去して見やすくしました。』

2006年8月13日 (日)

下関・恐竜足跡化石発見記 8

忙しくて、しばらくネットから離れていました。
お待たせして申しわけありません。

8回目です。

先生と一緒に現地で足跡化石の確認をした後日、博物館の先生方で現地を調査し、もう一つの足跡化石が採集されました。

最初の分と合わせて2つが現在「北九州市立自然史・歴史博物館 いのちのたび博物館」に展示されています。

最初に取り出したものは指が尖っているように見えたので、当初肉食恐竜の足跡かと考えられましたが、指のパッドや開きを見ると鳥脚類と考えたほうが妥当と言う結論になりました。

2つ目の博物館で取り出したものは大きく形も違いますが、こちらは当初から鳥脚類と見られていました。

参考となる良い見本に、アメリカ コロラド州のダコタ層群から産するイグアノドン類の足跡があります。
これらは、幼体から成体まで様々な大きさ形の足跡があり、しばし群れで行動していたことが分かっています。
この足跡は下関の足跡と比較するととてもよく似ていることが分かります。

下関の同じ20メートル四方の岩棚にある足跡化石のうち、足跡に溜まった堆積物がきれいに取り出せそうなのは、この2つだけでした。

後のものは、周りの岩ごと大掛かりに切り出さないと難しいですね。

今後の問題としては、現地の足跡化石の保存があります。

場所が海水による侵食をもろに受けるため、少しづつですが岩が減っていると最近行って感じました。

また人間による破壊の問題もあります。
現に一つの足跡は、おそらく人の手によるハンマーでの破壊によって欠けていました。
もう一度書いておきますが、人の手による取出しは不可能ですので絶対に叩かないように。
下関の足跡は分かりにくいので、知らずに破壊してしまうことも考えられます。

この場所は海岸ですので、山口県の管轄になるのかな?
何とか良い対応ができるといいのですが・・・。

・・・実はまだ恐竜の足跡化石はあるのです。
竜脚類と思われる大きな足跡が数個、別の場所にも・・・。

マスコミで報道された後、年一回、北九州自然史友の会の総会の後に行われる研究発表会でスライド発表させていただいただけなので知られてないですが・・・。

本格的な調査・研究が待たれるところです。。。

2006年8月 3日 (木)

下関・恐竜足跡化石発見記 7

7回目です。

日曜日。
ついに「かたまり」を先生に見てもらう日がやってきました。

私は「かたまり」を大きな黒いプラスチックケースに入れて、車で八幡駅の上にある北九州市立自然史博物館(当時)へ出掛けました。

博物館に到着し、ケースを抱えて階段を上り学芸員の先生方がいらっしゃる部屋へ。

岡崎先生は私を確認すると先生は「どうぞ、お待ちしておりました。」とおっしゃり、私は中へ通された。

私「これです。」

先生がケースの中を覗き込み、「かたまり」を手にとって観察する、、、。
言葉少なに、、、。

その間、私は先生の表情をずっと見ていました。
ちょっと微笑んだ感じでしょうか、、、。

しばらくすると「ちょっと待ってくださいね。」とおっしゃって席を外された。
そして何と館長さんを連れてこられた。

先生は館長さんに「これなんですよ。」と言われて2人で「かたまり」を凝視していた。

そして先生は、私にくるっと体を向けて口を開いた。
「足跡の可能性があります。」

私はやっと、ちょっとホッとした。

先生は続けて「足跡となると一つではねぇ、、、。」と。
最もな話である。

先週の日曜、私はこの「かたまり」を綺麗に取り出すこと、そして、そして取り出した跡をしっかり現地の岩に残すことに必死になっていて回りをよく観察していない。

先生「クロ○さん、時間あります?」

私「ええ、あります。」

先生「今から現地に行きませんか?」

私「行きましょう。」

急な話だったけど、それがとても嬉しかった。
この反応は明らかに普通ではない。

2人で私の車に乗り、山口県下関市を目指します。

北九州市八幡から小倉を抜け、門司の海岸線を通り関門トンネルへ。
その間、車内では先生の【ラリーの助手席の話】で盛り上がっていました。
意外?と思われるかもしれませんが、この時はまったく化石の話はしなかったですね。

下関に入り、弁当とカメラのフイルムを調達。

現地に着くとちょうど昼ごろで、まずは腹ごしらえ。

車の中で食事を済ませ、問題の「かたまり」を見つけた地層の所へ、、、。

2人で分かれて岩の上を観察しながら歩き回る。

しばらくお互い無言で歩き回った後、顔を合わせると先生が「ありますねぇ、、、。」と一言。

そうです。
ちょっと分かりにくいですが、泥岩の中に砂岩の同じような形があちこちに確認できる。

前にも書いたように、ここは地層面が分かりにくい。
その点は慎重に調べねばならないが、4つほどの足跡と思われる砂岩の堆積物は、同じ向きで同じ方向に間隔をおいて連続しているように見える。

また、その方向の同じ地層の断面にも砂岩の「かたまり」を確認することができた。

それらしき砂岩の堆積物は、なんと全部で10個くらいあることが分かった。

先生は、「大変なことになりましたねぇー、北九州で見つかると思っていたら先にここで見つかるとは、、、。」とおっしゃり、続けて「これで恐竜の足跡の確立は80%になりましたね。あとの20%は他の先生の助言が必要です。」とおっしゃった。

ここで初めて私は心の中で「やったー!」と叫んだ。

先生は「ここ、この前歩いたんだけどなぁー」といって苦笑しておられた。
先生もこの層で足跡が見つかる可能性を感じておられたようですが、以前韓国の恐竜足跡産地を訪問した際、あまりにもはっきりした綺麗な足跡を見てしまっていたために固定観念がついてしまって、下関の清末層のはっきりしない地層面の足跡を見落としてしまったらしい。

私の場合、アメリカのコロラド州のイグアノドンの足跡化石の堆積物の写真をたくさん本で見ていたので、同じような形の「かたまり」を目の前にして「あ、あった!」と反応することができたのだ。

この日の帰りの私といったらもう満足感で一杯でした。
最高の一日でしたね。


つづく。。。

2006年8月 1日 (火)

下関・恐竜足跡化石発見記 6


6回目です。

先生に手紙を書いた後、家では「かたまり」と毎日[にらめっこ]。

画像は、その時に撮ったもの。
上から見ると、足跡の形に見えるほかは「砂岩のかたまり」ですが、実は裏面は植物化石が全面に付いているのです。

植物の種類については特定できそうにないですが、指と思われるカーブに沿って植物化石が曲がって付いている、、、。

ということは、上から何らかの圧力が加わったことを表しているとも言えそうだ。

むむむ!いい感じで足跡の確立が高くなったぞ♪

数日して、岡崎先生から手紙が届いた。
「週末、博物館でお待ちしています」
と書いてあった。

「さあ!日曜は博物館だ」


つづく。。。

2006年7月30日 (日)

下関・恐竜足跡化石発見記 5

5回目です。

平成5年5月23日、快晴です。
いよいよ現地に調査にに行く日がきました。

用意をして家族一緒に山口県下関市の某海岸へ向かいます。
(一応ここでは詳しい場所を記すのは伏せておきます)

某海岸には、植物化石を産する「豊西層群」の清末層と、貝化石を産する吉母層が露出しています。
今回は清末層が目的です。

現地に到着し車を停め、娘を連れて清末層の露頭へ向かいました。

露頭には潮溜まりが出来ていて、中には小さな魚やイソギンチャクなどがいて観察するのも楽しいものです。

早速、娘が潮溜まりで水遊びを始めました。

私は石に目をやることに、、、sign01

いきなりでした、、、。

本当に、、、。

目の前に、黒っぽい泥岩層の中に3本指のように見える砂岩の「かたまり」が、、、。

「あ、あった!?、、、。」

今度はその「かたまり」をじっくり観察する。

恐竜の足跡には様々な状況が考えられる。
直接地面につけられた足跡の凹み。
その凹みに溜まった堆積物。
その下の層まで凹んだアンダープリント。
などである。

これが本当に恐竜の足跡ならば、凹みに溜まった堆積物ということになる。

また、足跡ということであれば歩行しているのだから続きがあるはずだ。

しかしここの清末層は、いまいち地層面がはっきりせず、この時はまだ良く分かりませんでした。

さてどうしよう、、、。

いろいろ考えて結論を出した。

この「かたまり」の周りは、海水による侵食と穿孔貝らしき影響で脆くなっていて、「かたまり」は少し浮いた状態になっていた。

「よし取り出そう。」

すでに「かたまり」は、たくさんの亀裂が入っていて取り出すとバラバラになりました。
そのバラバラになったものを、持って来たプラスチックのパンケースに順番に丁寧に収めました。
小さなかけらも一つ残らずケースに入れました。

取り出した後の地層面には、しっかりと凹みの跡が残りました。

「よし、うまくいったぞ!」

私は興奮しながら家に帰りました。

家に帰ってからは、まず「かたまり」の破片一つ一つの水洗いです。

表面には貝などもついていたので丁寧に剥がします。

その後乾燥させて、接着材でくっつけていきました。

そして、何とかその日のうちに元の形に復元できました。

「先生はこれを見て何ておっしゃるだろう、、、。」

私は、日頃お世話になっている北九州自然史博物館の岡崎先生に今日のことを手紙に書きました。

つづく。。。






2006年7月28日 (金)

下関・恐竜足跡化石発見記 4


4回目です。

同じ頃、白亜紀前期の化石を多産することで知られる福井・石川・岐阜県境にまたがる手取層群と呼ばれる地層から恐竜類の足跡化石が発見され、新聞やテレビを賑わせていました。

私が所属する北九州自然史友の会・化石研究部会の室内講座でも、担当の岡崎先生による足跡化石についての講義が行われました。

様々な動物がどのような足跡を付けるか、どうやって化石になるかなどの話があり、その中で私が最も興味が湧いたのが、お隣の国「韓国」は世界3大恐竜足跡化石産地であるということです。

韓国の白亜紀の地層から見つかる貝などの化石から、北九州地方の白亜紀の地層と密接な関係があるのでは?と指摘されていたこともあり「これは面白いぞ!」と思いました。

話の中で岡崎先生は「脇野亜層群で恐竜足跡化石が見つかる可能性は十分にあります。もしかしたら小倉南区あたりで見つかるかもしれませんね」とおっしゃいました。

「見つけてやる!」
そう思ってまずは近場の脇野亜層群の地層を調べました。
しかし、なかなか見つかりそうな場所がありません。

宮若市(旧宮田町)と直方市の境では、地層面に漣痕(れんこん)(さざなみの痕)があり(現在は工事で消滅)、そこに恐竜の足跡を頭の中で重ねてイメージしながら探しましたが、残念ながら見つかりません。

当時恐竜足跡化石に関しての出版物もたくさん出ていたので、片っ端から購入し読んでいると、「ここしかない!」という結論に至りました。
以前友の会で行った下関市の豊西層群清末層のことです。

足跡が見つかっている手取層群では立派な植物化石を多産しています。
しかし脇野亜層群では植物化石の大きな標本は殆ど見つかっていません。

「よーし!清末層に絞って探しに行くぞ!」
そう決めた私は、探しに行く当日まで、足跡化石が夢にまで出てくるほどでした。
「ある、絶対ある。イメージ、イメージ。。。」

そして下関へ出かける当日になりました。

つづく。。。

写真は、清末層で産出したシダ植物(オニキオプシス・エロンガータ)

下関・恐竜足跡化石発見記 3

3回目です。

北九州自然史友の会・化石研究部会に入って、室内講座や野外観察・採集会などに出掛けるようになって、少しづつ化石のことが分かるようになってきました。

野外に出掛けた時は、まるでピクニックのような感覚で楽しく、皆さんはとても仲がよくて、初心者の私に親切に道具の選び方から化石の見つけ方、取り出し方を教えていただきました。

例えば取り出し方に関しては、化石の近くにタガネを入れるのではなく、ちょっと余裕を持って回りから時間をかけて取り出します。
石にも叩く場所や向きがあって、よく観察してから叩かないと化石が割れてバラバラになる危険性があるのです。

実際私も気が焦ってやらかしたことがあります。
一つの小さな化石を取り出すのでも焦ると飛ばしてしまって行方不明なんてことになりかねません。
とにかくじっくり根気です。
細かい所は、家に帰ってから少しづつ削って出します。
こんなことも先輩会員から教わったことです。

また、会員の方々は何にでも興味を持っているので、この植物はどうとか、この潮溜まりのイソギンチャクはどうとか、様々なことに対して解説してくれたり、疑問を投げかけたりして興味深い話がたくさん出来ました。

ある日、友の会で山口県下関市某所へ植物化石や貝化石を採集しに出掛けることになりました。
中生代ジュラ紀終末期から白亜紀初期にかけての清末層と呼ばれる地層から、シダ類など(オニキオプシス・エロンガータやニルソニア)の化石が見つかります。
私はあまり良い標本が取れなかったので、会員の一人から後日植物化石標本を譲っていただきました。

つづく。。。

2006年7月26日 (水)

下関・恐竜足跡化石発見記 2

2回目です。
足跡化石にたどり着くまでには、想いや出会いなどの段階や時の流れが関っているので、ちょっと長くなるかもしれませんが、お付き合い下さい。


「恐竜」って、凄く人気がありますよね。
大きくて迫力があって、現在の生物とはちょっと違ってて魅力があります。

恐竜が生きていた時代の地層と言えば、私が住んでいる福岡県飯塚市からは目と鼻の先に「脇野亜層群」と呼ばれる白亜紀前期の地層があります。

私は小学生の頃から、その地層が露出している現在宮若市(旧宮田町)の千石峡に通っては湖などに堆積した地層から貝化石を採集していました。

その千石峡から肉食恐竜の歯化石発見のニュースを見たときはビックリしましたね。
恐竜がとても身近な存在に感じるようになりました。
この頃の私は、まだ北九州自然史友の会には所属しておらず、化石ファンの一人でした。

結婚し、長女が生まれ、化石から遠ざかっていたある日、家族で千石峡に水遊びに行くことになりました。

現地に到着し、娘を連れて水辺へ。
周りの岩の中には巻貝の化石がたくさん。
「懐かしいなぁ」
娘を遊ばせながら付近の転石に目をやる。
「ちょっと久しぶりに探してみよう」

転石の中の巻貝の綺麗に抜けた跡を探しつつ、脊椎動物の化石がないかなぁと見ていると、「あれ?」

石のあちこちに黒い骨のようなものが見える。
手にとってみると、黒いものの中は小さな穴が無数に開いててスポンジ状になっている。
牛などの骨を折ったときに見えるのと同じだ。
私は大事にその転石を家に持ち帰った。

それからしばらく時が経ち、ある日家で新聞を見ていると、北九州市立自然史博物館で特別展があっている広告があり、学芸員の先生のインタビュー記事が載っていた。

「行ってみるか、、、。」
「もしかしたら化石を見てもらえるかもしれない」

そう思って化石?を手に、当時八幡駅の2階にあった博物館に出掛けた。(現在は移転。スペースワールドの隣)

博物館に到着し展示物を見て回った後、学芸員の方々がいらっしゃる部屋へ、、、。

「すみませーん」
呼びブザーを鳴らして声をかける。
化石を見てもらいたい旨を伝えると、中から学芸員の岡崎先生が出てこられた。

「千石峡で採集したんですけど、よく分からなくて、、、。」
先生は
「これは大変なものですよ、カメの甲羅です。」
と答えてくださった。

なるほど、カメの甲羅にみえる。

それから、千石峡ではカメの甲羅の他に、ワニの歯や骨が見つかっていることを教えていただいた。

先生から
「博物館には友の会という団体があって、化石研究部会もあるから良かったら試しに参加してみませんか?」
と尋ねられて「参加してみます」と答えた。

私と「北九州自然史友の会」との出会いである。

つづく。。。

下関・恐竜足跡化石発見記 1


平成5年のことです。

私は化石に興味を持ってから最大の興奮を体験することになります。

それは山口県下関市の中生代ジュラ紀終末〜白亜紀初期にかけての地層から、恐竜類のものと見られる足跡化石を発見したからです。

当時、空前の恐竜ブームだったせいもあり、「日本最古の恐竜足跡化石発見」と、新聞やテレビで大きく取り上げられました。

写真は、現在収蔵されている北九州市立自然史・歴史博物館「いのちのたび博物館」の足跡化石です。

向かって左が最初に私が取り出したもの。
右は後に博物館が取り出したものです。

大きさ形は違いますが、ともに鳥脚類のイグアノドンのような恐竜がつけたのではと考えられています。

足跡化石はどうやってできたかというと、川や湖や海などの岸辺の比較的軟らかい土の上を動物が歩き、足形の凹みをつけ、その凹みに水の流れによって運ばれた泥や土が溜まって覆い、さらに水の流れが足跡の部分の泥や土を残して周りの泥や土を運び去り、またまた水の流れによって運ばれてきた泥や土がその上を覆う。
その後地中で圧を受けて石となり、地殻変動で地層が隆起したりして私たちの目に触れることになるのです。

凹みの中の堆積物のかたまりが写真のものということになります。

これから、数回に渡って【どうやって足跡化石を見つけたか】
【その時のエピソードは?】【なぜ足跡化石と言えるのか】などについて書いていこうと思います。

2006年6月17日 (土)

筑豊地区某所から、白亜紀植物化石

今日は休みをとっていたので、以前から気になっていた地層を調査に出掛けました。

福岡県筑豊地区某所の「脇野亜層群 千石層」と呼ばれる地層。
その地層の黒色頁岩中には、保存の悪いブロティオプシスという巻貝化石が所々見られます。

この巻貝化石は、宮若市千石峡や北九州市小倉などの中生代白亜紀の地層に多く見られるもので、通常中身が風化して外形の型だけが残っています。

私は頁岩の風化したものから、貝類・植物・魚類が出ないか注意しながら見ていきました。

すると、まず最初に非常に小さな巻貝の密集したものが見つかり、その後、小さな二枚貝がたくさん見つかりました。
この化石は、たまにしか見ないのですが、一部に密集してありました。

そして、、、。
「おお!」
植物化石が見つかりました!

私はこれまで筑豊地区では直方市某所で、シダ類のクラドフレビスなどの小片は採集していますが、この種、それもこんなに大きい標本は初めてです。

おそらく北九州市立自然史博物館でも、脇野亜層群の植物の大きな標本はそうないはずです。

まだはっきりした種は特定できず、私の見たところソテツ類のように思われますが、今後専門家に見てもらうつもりです。

ps.明日は、化石研究部会の野外観察・採集会。
   私は仕事で参加できない(涙)
   皆さん行ってらっしゃい(^_^)/~~


2006年2月24日 (金)

宮若市 千石峡の化石5

私が採集した千石峡の中生代白亜紀前期「脇野亜層群」の貝化石を紹介します。

現地で目にする化石の多くは貝の殻の抜けた痕です。
抜けた後といっても表面の装飾はとても綺麗です。
この抜けた痕に、歯科用のシリコン印象材(患者さんの歯型を採る材料)を使って型を採れば中の本体が再現できたりもします。

また上級編として、化石が含まれる石を家に持ち帰り、ハンマーやタガネ・釘・ナイフ・カッター・歯科用マイクロモーター・接着材などを使って石から化石を取り出す方法もあります。
この作業を「クリーニング」といいますが、ここ千石峡の石はとても硬くて化石が取り出しにくく、また化石と石の境の離れが悪くかなり難しいです。

初心者は転石で抜けた痕の綺麗なものを探すのをオススメします。

下はなんとか取り出しに成功した数少ない標本です。

千石峡で一番多く産出する
「ブロティオプシス ワキノエンシス」
内部が風化によってなくなり外形の印象が残ったもの

クリーニングした「ブロティオプシス ワキノエンシス」
取り出すには母岩をよく観察して中の化石の保存の良さそうなものを選びます

二枚貝
「プリカトウニオ」(大きな方2つ)
「トリゴニオイデス」(小さな方)

2006年2月22日 (水)

久しぶりに。。。

今日は夕方までに家に帰らないといけなかったので、仕事は昼で終わりました。
帰りにまだ時間があったので、中間市在住の北九州自然史友の会会員Kさん宅にお邪魔させていただきました。
かなり久しぶりにKさんにお会いして、お互いの近況を話しているうち、帰りにちょっと化石探しに寄ってみようかなという気になりました。

実はもう一年以上、自ら化石採集には出ていません。

Kさん宅を後にして、直方市の某所にある中生代白亜紀前期の脇野亜層群とよばれる地層へ、、、。

ここはそうめったに化石は見つからない所。

しばらく探していると写真の骨片を見つけました。
う〜ん、カメの甲羅っぽいなぁ

大きな岩塊から、なんとか取り出しに成功。
この作業が難しいんですshock
取り出しに無理は禁物、出来るだけ大きめに取り出すこと。
もし割れたら破片は全て家に持ち帰ること。
(家に帰って繋ぎ合わせます)
これ鉄則です!

ちなみに、もしものために車には、ハンマー・タガネ・ビニール袋・新聞紙・ティッシュなどを積んでるんです。
瞬間接着材があれば、なお良いですね。

化石採集とは地道な作業なのだぁ。。。


2006年2月19日 (日)

宮若市 千石峡の化石4


福岡県宮若市千石峡で発見された「歯」をもとに想像して造られた白亜紀前期の肉食恐竜
「ワキノサウルス サトウイ」
和名「ワキノサトウリュウ」の頭部
(北九州市立いのちのたび博物館所蔵)

1990年2月9日の夕刻、北九州自然史友の会会員の佐藤政弘氏は千石峡の岩塊の中に骨のような断面を発見します。

最初はカメの甲羅かと思えたが、どうも違うように見える、、、。
この時、もうすでに日が沈みかけていたそうですが、ルーペでよく観察すると、肉食恐竜の歯の特徴である鋸(のこぎり)状のギザギザがあることがわかり、それが間違いなく恐竜の歯である確信をもったそうです。

とても興奮したでしょうね!

上の写真は、黒色頁岩中のワキノサウルスの歯(レプリカ)
私が点線で書いているところが歯の先端が欠けている部分です。

この化石は北部九州で最初に見つかった恐竜の化石で、当時大きなニュースとなりました。

2006年2月18日 (土)

宮若市 千石峡の化石3

写真を見て何の化石か分かった人がいるとしたら・・・貴方は間違いなく化石の達人です♪

千石峡の貝化石に混じって見つかったものの中に「カメ」と「ワニ」の化石があります。

上の写真の石の中に見える黒っぽい部分は「カメの甲羅」なのです。

カメは死ぬと、やがて甲羅はバラバラになります。
死んですぐに土に埋もれば話は別ですが、水の流れなどによりかけらは分散する事が多いようです。

写真の転石中には、いくつかの甲羅のかけらが分散して含まれていますが、断面を観察するとスポンジ状になっているのが分かります。
通常、骨の化石だと判断する基準の一つとしてこの「スポンジ状」であることが条件になったりします。

石や含まれる化石の色ですが、これは前にも書いたように風化で変わるので、化石の色に決まった色はありません。
上に書いたような条件や、表面の模様などをよく観察して化石を探しましょう。
写真の石も、元は黒色の頁岩だったものが部分的に薄茶色になっています。

【この化石ですが、見つけたとき(91年)は何の化石か分からなくて、当時北九州市八幡駅の上にあった自然史博物館に持ち込んで鑑定してもらったんですよね〜(^-^*)
自然史友の会に入会するきっかけになった化石なのです♪】

ここでは他にワニの骨も見つかっていますが、「カメ」と「ワニ」がセットで見つかった場所では「恐竜」も生息していると私たちの間では言われています。

その噂どうり、千石峡では「肉食恐竜の歯」が見つかっているのです。
その名も「ワキノサトウリュウ」!
学名「ワキノサウルス サトウイ」
発見者は北九州自然史友の会会員の佐藤氏。

明日たまたま本人に会う機会があるので、発見当時の話を聞いときましょうね。
では次回。。。

2006年2月12日 (日)

宮若市 千石峡の化石1

祝 宮若市スタート♪
平成18年2月11日、旧宮田町と旧若宮町が合併して宮若町が誕生しました。
思えば私が小学生高学年から中学生だった頃、自宅のある飯塚市から自転車で、この当時福岡県鞍手郡宮田町だった渓流公園の「千石峡」へ化石採集に通ったものでした。

力丸ダム下流にある「千石峡」は「いこいの里千石」として公園化し綺麗に整備され、特に夏は水遊びやアスレチック、キャンプと家族連れで賑わっています。

実はこの千石峡周辺に露出している地層は、約一億二千万年以上前の中生代白亜紀前期の地層で、その時代ここに大きな河や湖があり、そこに大量の土砂が堆積してできたものです。

この地層が分布するのは宮若市をはじめとして、直方市、宗像市、北九州市八幡や小倉、そして山口県まで延びていて、そこから産出する化石から、たくさんの種類の魚や、タニシやドブ貝に似た巻貝や二枚貝、カメやワニが棲み、周辺の陸地にはシダ類などの植物が、そして恐竜が生息していたことが分かっています。

この地層ですが、見つかった地名をとって「脇野亜層群」(わきのあそうぐん)と呼ばれています。

では、この千石峡にはどんな化石があるのか、どうやって探したらいいのか、次回紹介したいと思います。


千石峡の入口(下流)から上流を見たところ。