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  • 子どものころから化石に興味を持ち、福岡県飯塚市に「筑豊化石収蔵庫」を開設しているクロちゃんです。職業は、歯科技工士。北九州市にある「いのちのたび博物館」でも活動をしています。

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2018年6月25日 (月)

筑豊炭田遺跡群、国史跡指定へ!

Cimg1612

2018年6月16日の新聞の朝刊です。

地方版(筑豊版)に大きく「筑豊炭田遺跡群が国の史跡指定へ」の記事が掲載されました。

文化庁の発表によりますと、6月15日に文化審議会から文部科学大臣に答申されたもので、官報告示の後に登録される予定です。

文化庁のHPによりますと・・・

筑豊炭田遺跡群は

三井田川鉱業所伊田坑跡(田川市)

目尾炭坑跡(飯塚市)

旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所および救護練習所模擬坑道(直方市)

の筑豊地区3市の遺跡群で構成されています。

内容は・・・

福岡県北部の遠賀川流域に開発された,明治中期から昭和20年代にかけて,我が国最
大の炭田であった筑豊炭田の遺跡群である。炭鉱経営は中央財閥,筑豊地方の有力者,小
坑主によるものであった。筑豊炭田は明治30年(1897)には全国産出量の50%を
超え,昭和15年(1940)を出炭量のピークとしてその後は漸減し,昭和48年(1
973)までに閉鎖となった。三井田川鉱業所伊田坑跡は,筑豊最大規模を誇った炭坑跡
で明治43年(1910)築の竪坑櫓1基と,炭坑節でも唄われた明治41年(1908)
築の煉瓦煙突2基が残存し,竪坑の巻上機室や汽缶場の基礎などが確認された。目尾炭坑
跡は杉山徳三郎が明治14年(1881)に筑豊で初めて蒸気機関による排水に成功した
遠賀川沿岸の炭坑で,杉山が排水に成功した竪坑を覆うコンクリート製蓋や煙突基礎など
を確認した。明治43年に完成した旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所には,筑豊の炭坑経営
者たちが集まり,採炭制限や保安対策などについて議論した。同組合の救護練習所模擬坑
道は,大正9年(1920)に設置された煉瓦造と鉄筋コンクリート造のアーチ型の練習
坑道で,炭坑の深部掘削を背景とした爆発事故に対応して作られたものである。石炭業を
採炭,運搬,労働環境など多岐の面より理解する上で重要である。

と、いうものです。

小・中・高校の頃、考古学に熱中していた私ですが、まさか近代の炭鉱跡が国の史跡の指定を受ける時代が来ようとは、その頃は思ってもみませんでしたが、今となってみれば、国が歩んできた歴史を語るうえで貴重な遺跡と言えるでしょう。

この3市の遺跡のうち、田川市と直方市の遺跡に関しては、整備保存され、ほぼ見学可能なのに対し、飯塚市は遺跡は発掘後に埋め戻され、現在見学は出来ません。

Cimg1599

これが現在の目尾炭鉱跡(飯塚市)です。

草ぼーぼーでしょ、、、。

ちなみに目尾は「しゃかのお」と読みます。

Cimg1598

遠景です。

現在道路になっているところは、昔、幸袋線という鉄道の軌道があり、目尾炭鉱には積み出し用の引き込み線がありました。

じつはここ、私の実家の目と鼻の先なのです。

目尾炭鉱跡は、現在のような草ボーボーでなく、畑や線路、積み出し場の跡があり、私が子供の頃の遊び場の一つでした。

Cimg1603_2

この写真は平成27年5月にあった、飯塚市教育委員会による目尾炭鉱跡の発掘調査の現地説明会の様子です。

排水台座と排水管のようです。

その他にも、円形や八角形の煙突の台座などが見つかっています。

今後、飯塚市がどういう遺跡の活用を考えるのか、お手並み拝見です。

 by クロちゃん

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